トニー谷滝

2005年1月30日
http://www.tonytakitani.com/j/index.html

太平洋戦争の始まる少し前、トニーの父親、滝谷省三郎はちょっとした面倒を起こして、中国に渡った。日中戦争から真珠湾攻撃、そして原爆投下へと至る激動の時代を、彼は上海のナイトクラブで、気楽にトロンボーンを吹いて過ごした。彼がげっそりと痩せこけて帰国したのは、昭和21年の春だった。

彼の名は滝谷省三郎、彼が結婚したその翌年にトニーが生まれた。
そしてトニーが生まれた三日後に母親は死んだ。
あっという間に彼女は死んで、あっという間に焼かれてしまった。

孤独な幼少期をおくり、やがて美大で地に足の着かない“芸術”を学ぶトニー。
目の前にある物体を一寸の狂いもなく、細部に至るまで正確に写生するトニー。

女学生「うまいんだけど、体温が感じられないのよね」

体温? それらはトニーにとってただ未熟で醜く、不正確なだけだった…。




数年後、デザイン会社へと就職し、そして独立しイラストレーターとして自宅のアトリエで仕事をこなすようになったトニー。彼の家には様々な出版社の編集部員が出入りしていた。小沼英子も、そんな編集部員のひとりだった。

トニー「すみません…お待たせして…」
英子「はい」トニーは、一目で彼女に恋をしてしまったのだ。トニーは、そのことを何かの用事で二年か三年に一度くらい顔を合わせるだけだった父親に話した。

トニー「…なんというか、服を着るために生まれてきたような人なんだ」
父「それはいい」

滝谷省三郎は、父親にむいた人間ではなかったし、トニーもまた息子にむいた人間ではなかった。

こうして、トニーの人生の孤独な時期は終了し、やがて新たな生活と共に、幸せの中に浸れるようになった。
しかし一つだけ、トニーには気になることがあった。それは妻が、あまりにも多くの服を買いすぎることだった…。

「僕は何もお金の事だけ問題にしてるんじゃない…でも、こんなに沢山の高価な服が必要なんだろうか?」
「私にもわからないの…でも、わかっていても、どうしようもないの。目の前に綺麗な服があると買わないわけにはいかないの」

なんとかそこから抜け出してみると約束した彼女は、買ったばかりのいくつかの洋服を返品する事にした。帰りの車中、信号待ちの間、彼女はずっとその返品したコートとワンピースのことを考えていた。信号が青に変わる。はじかれたようにアクセルを踏み、大きくハンドルを切る、英子…。
そして、トニーに残されたのは、部屋ひとつ分の、サイズ7号の服の山だけだった。

しばらくして、トニーが出したバイトの応募を見た斉藤久子という若い女性が、面接に表れた。

トニー「亡くした妻の服が、家に沢山残っているんです。…それをここで働くあいだ、制服のかわりにあなたに着てほしい」

残された服たちは、まるで彼女のために作られたみたいに、ピッタリだった。
あまりに高価な服たちを目の前に、理由もなく涙を流す、久子。

トニー「とりあえず、一週間分の服と靴を選んで持って帰って下さい」
夜、妻の衣装部屋で、月光にの中の服たちを見つめているトニー。
─その服は、妻が残していった影のように見えた。かつては温かな息吹を与えられ、妻とともに動いていた影…。
トニー「あなたが持って帰った服と靴は全部差し上げます。だからこのことは忘れてほしい。そのカシミヤのコートも、スーツケースも全部あげる」

こうして、トニーの回りには誰もいなくなってしまった。
そして、思い出の数々さえも…。そんな、トニーが、ひとつだけ何度も思い出すことがあった。
それは…。

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